志太榛原地域支部

神戸一朗 前幹事長の葬儀が執り行われた

★ 神戸一朗 前幹事長の葬儀が執り行われた      

7月15日(金)あいにく雨の中、10:30〜藤枝長楽寺において7月8日に急性心不全のため急逝した神戸一朗氏の葬儀が執り行われました
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式は、長楽寺の和尚様から一通りの式典や順序の説明に続き、友人代表弔辞、同僚の弔辞、弔電の紹介等の後、葬儀が始まり、参列者の焼香、住職の法話、初七日の儀、出棺と続き滞りなく終了しました

故人、神戸一朗様は本校友会地域支部の創立当初から、会の立役者の一人でこの地区の明治大学同窓生相互親睦のまとめ役としてして貢献されました 彼はいろいろな事に知識が豊富で、万人に対して優しい人柄でした 地元校友会のためにもこれからこのような彼の力は不可欠の存在でした

通夜・葬儀に参列した人はすべて早過ぎる彼の非業の死を悼みました
明治大学地域支部校友会の更なる発展のために、惜しい人材をなくしたものと悔やまれます

兎に角、こうして和尚の読経に導かれて、彼はとうとう仏様になりました

若い頃,私は 人の一生は結構長いものと思ったけれど、普通以上に健康だった彼のあっけない急死によって、人生は思っていたより短いものだ と感じたのは筆者だけでしょうか      (文責:渡會) (工事中)

 

【弔辞 明治大学校友会志太榛原地域支部 増田 博(S.45.商卒)】 

神戸一朗君弔辞

 明治大学の校友として、謹んで神戸一朗君のご霊前にお別れの言葉を申し上げます。
神戸君、君がこんなに早く亡くなるとは。突然の訃報に接して悲しみを表す言葉をうまく見つけることができません。君は私の5年ほど後輩になるのですが、若い時から地元の明治大学校友会に参画し、貢献してきたことは地域の校友のだれもが知るところです。

 校友会の志太榛原支部は28年前の平成6年に設立されています。発起人は江崎新聞店の故江崎友次郎先輩でした。そして、その設立準備から君は参画し、一番若かったせいもあるでしょうが、立ち上げゆえの相当な仕事量を君がほとんどこなしていたと聞いています。

その後に支部の年次総会の懇親会などに私も参加させていただくようになりました。
懇親会最後の締めが「白雲なびく」の明治大学校歌の合唱なのですが、常に応援団よろしく指揮を執っていたのが神戸君でした。なぜが君しかいなかったのです。「フレー、フレー」の声が今も耳に残っています。

 明治大学はマンドリンクラブが全国ツアーをすることで知られていますが、3年毎に行う校友会主催のコンサートは支部のビッグイベントです。多くの実務を経験した神戸君のアドバイスがないとなかなか進まないので実態でした。4年前のコンサートの時に私が実行委員長を務めましたが、すべて君に頼っていたのが実情でした。
実は今年もコンサートを計画しているところですので、正直、みんなが不安に思い、途方に暮れています。

 しばらく前、神戸印刷の事務所での雑談で、私が3,4年前に経験したエーゲ海や地中海客船クルーズの話をしたところ、大変興味を持たれ、コロナが明けたら「一緒に行くのもいいね」と話したのが、最近の極めて印象的会話でした。
会話が単なる思い出になってしまったのが、残念でなりません。

 ご遺族の皆様には、さぞお気を落とされていると存じます。どうぞお心を確かにお持ちください。
校友一同もともに、神戸君の勇姿を胸に刻んでまいります。

神戸君、君のご冥福を心からお祈りして、お別れの言葉とします。安らかにお眠りください。

                        令和4年7月15日

   明治大学校友会志太榛原支部  増田 博

 

 

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弔辞 増田 博 様

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戒名 善徳院一峰朗賢居士

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         ご冥福を心からお祈りします

 

 

 

 

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