志太榛原地域支部

志太榛原地域について

志太榛原は静岡県の中央に位置し、また、静岡市の西に位置する地域です。漁港の有名な焼津漁港、サッカーで有名な藤枝などがあります。 牧ノ原市と島田市にまたがって広がる牧之原台地には、2009年富士山静岡空港が開港され国内線をはじめ国際線も中国、韓国との間で定期便が就航している。この地域はお茶の産地としても非常に有名です。また、国内のCDやソフトウェアパッケージの生産もこの地域で盛んに行われています。

豊かな自然と古い歴史ー志太の郷

「志太の郷」で紹介する地域は、島田市、藤枝市、焼津市、岡部町、大井川町の三市二町である*。 (注* 現在は岡部町は藤枝市と合併、大井川町は焼津市と合併し三市を指す。)
以前の志太郡は、岡部町と大井川町に飛地のように存在していたが、三市も第二次大戦後、市制を実施するまでは、いずれも志太郡に属していたのである。このようなことから今日でも一般的に「志太地域」といえば、三市二町を指すのである。

志太地域は、赤石山脹の南緯と大井川左岸の沖積平野に位置し、豊かな自然と古い歴史を持っている。
志太の歴史は、縄文、弥生、古墳時代の遺跡が多く発見される山地と平野の出合うあたりからはじまつたのではなかろうか。 
また、焼津の地は日本の国づくり神話で有名な「日本武尊」の物語に登場してくる。

志太という地名は、志太の浦を 朝漕ぐ船はよしなしに 漕ぐらめかもよ よしこさるらめと  万葉集の中にも詠まれているほど古くから存在していた。
地名が古くからあったように、日本の古代国家が整ってくると、この地域には、志太郡と益頭郡という二つの行政組織が成立するようになった。
当時の志太郡役所跡「志太郡衙跡」は、昭和五十二年藤枝市瀬古の谷合いの水田から発見され、国の指定史跡となっている。

その後、古代国家の衰退とともに両郡の行政機能は失われてきたが、明治はじめの郡制でも、この地域は、志太郡と益津郡となっている。ところが明治中ごろ郡域の改編がおこなわれたため、この地域全域は、志太郡となった。
志太地域には、「志太郡衙跡」など、貴重な史跡が数多く保存されているから、これらの史跡を廻って歩けば、きつと郷土の歴史を、実感をともなって、深く理解することができるであろう。


史跡だけでなく、志太地域には、由緒ある神社や寺院も数多くある。地域を代表する神社に、島田市の大井神社、藤枝市の飽波神社、焼津市の焼津神社があるが、これらは、いずれも人々が大井川、瀬戸川、朝比祭川の洪水と戦いながら、地域開発を進めていく過程で祭ったものである。
古代国家が衰え、武士の時代になると、この地でも、岡部氏、朝比奈氏が小さな武士団を形成するようになった。やがて戦国の世になると、今川氏、武田氏、徳川氏の戦乱の舞台にもなったことから、これらの諸大名と緑の深い寺院が、多くみられる。
神社や寺院を訪れ、その由緒を尋ねたり、祭りや縁日に出かけていけば、人々の願いを知るばかりでなく、地域の歴史をより鮮明にすることもできる。
戦国の世が治まり江戸時代になると、岡部、藤枝、島田は、東海道の宿場町として栄えるようになってきた。また、大井川の川留などの影響もあって、全国各地の様々な能力をもつた人々により、この地にさまざまな技術や文化がもたらされるようになった。

さらに江戸時代には、大井川下流域で新田開発も進み、この地は、穀倉地帯として発展してくるのである。
これに対して、北部山間地域では、茶、みかん、木材が、海岸部では、かつお、まぐろが、この地の特産物として登場してくる。 こうして、この地域は、第二次大戦頃まで農林水産業を中心に発展してきたが、近年は都市化、工業化の進展が著しく、地域の産業構造も大きく変貌してきている。
また、志太の自然、風物もすばらしい。 志太地域の北部には、南アルプスの南緑につながる美しい緑に包まれた山々が連なり、その東端には、駿河湾にそそり立つ険しい断崖の大崩海岸がある。

西端には、かつて東海道を上り下りする旅人の、最大の難所となっていた大井川がある。海岸線をみれば、瀬戸川河口近くに遠洋漁業の根拠地焼津港があり、大井川河口には、町営港としては全国的に有名な大井川港がある。そしてこの両港を結ぶ海岸線には、美しい緑の松原が延々とつづいている。
北部の山々から志太平野に注ぐ河川や明るい海は、休日の家族連れや釣人を暖かく迎えてくれ、また山ぶところの小さな山寺は、訪れる人々の心を、きつと和ませてくれるに違いない。「志太の郷」は、古い歴史と自然のバランスに恵まれた住みよい「郷」なのである。

引用文献
志太地域活性化推進協議会、志太榛原地域の歴史「志太の郷」昭和61年4月1日発行   

(文責:渡会)